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2000 DALLARA MUGEN HONDA F300
BRITISH F3 CHAMPIONSHIP
RD.5 SILVERSTONE MAY 21th
TSコレクション第1弾ですね。佐藤琢磨が2000年にイギリスF3で初優勝した時のモデルだそうです。 |
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JORDAN MUGEN HONDA EJ10 1stF1test
佐藤琢磨 (販売は2003/11)
日本人F1ドライバー佐藤琢磨が初めて乗ったF1マシンです。ヘレスにてジョーダン無限ホンダのマシンをドライブしました。その翌年にF1のテストドライバーを務めながらイギリスF3に参戦しチャンピオンを獲得するのですね。蜂のロゴがカッコイイですね。鮫ジョーダンの鮫抜きバージョンモデルもでて欲しいところです。 |
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2000 BAR HONDA 002 (販売は2006)
BARCELONA DECEMBER 18th 2000
佐藤琢磨へ興味を示してテスト機会を作ったジョーダンチーム。直後にはホンダワークスのBARがテストに乗せました。そして、そのままBARの育成プログラムでテストドライバーになるんですね。その時のBARのモデルです。マシンとしてはそのまま2000年仕様のBAR。現在では青&銀のメットがこの頃はまだ水色&白で爽やかなんですよ。僕はこの方が好き!1回乗っただけのマシンまでミニカーになるとは。琢磨人気ですね〜。今後も頑張ってくれ〜! |
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2001(Test) BAR HONDA 03 TESTCAR
2001年、佐藤琢磨はイギリスF3で王座獲得を目指しながらもF1マシンに慣れていく為にBARチームのテストドライバーも兼任します。これはその時のミニカーです。日本限定モデルだそうです。彼はこの年、見事にイギリスF3チャンピオンを獲得して、更にはジョーダンF1チームの反対を押し切ってF3マカオGPに出場します。そしてF3マカオGPでも見事な圧勝を見せて翌年F1チームからデビューへと続くのです。 |
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2001 DALLARA MUGEN HONDA F301
F3 BRITISH CHAMPION (販売は2003/10)
佐藤琢磨がイギリスF3を制覇してチャンピオンになったモデルです!彼はイギリスF3(Aクラス)参戦初年度の2000年から速さを既に見せていて2001年にシーズンを圧勝し、世界のF3の上位者が集まるマルボロマスターズとF3で最高峰レースのマカオGPで見事に優勝を遂げました。勿論全て日本人初の快挙です。余談ですが、この年はフランスF3を福田良、ドイツF3を金石とヨーロッパ3大F3チャンピオンを日本人が独占した年でもありました(今まで日本人はそれらのF3でチャンピオンがいなかったのにいきなり3人には驚きですね)。 |
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2001 DALLARA MUGEN HONDA F301
WINNER MACAU GP 20001(販売は2006)
F3最強決定戦と言われるマカオGPを制覇した時のミニカーです。ノーズ〜リアウイングに至るまで各部のロゴがマカオGP仕様になっています。タイヤもエイボンタイヤからアドバンタイヤになっていますし。イギリスF3チャンピオンになり、マルボロマスターズを制覇し、文句なしのF1参戦が決まっている状態でマカオへの参戦を希望。もし敗れたらどう批判されるか分らない。高すぎるリスクを心配し、ジョーダンF1チームは参戦反対。しかしその反対を押し切りマカオGPに参戦しました。そして見事に勝利!トップチェッカーを受ける瞬間のガッツポーズが最高に格好良かったですよね♪勿論日本人初の快挙です。F1でも勝利を見せて欲しい! |
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2002 Jordan HONDA EJ12 T.SATO
2002年佐藤琢磨のデビューシーズンモデルです。チームメイトが速いフィジケラだったこともあり彼と比較され続けるというかなり辛いシーズンにはなりましたが、最終戦の日本GPではトップ3チームのマシン6台に続く予選7位を獲得して、決勝では5位で初ポイントゲット!鈴鹿を感動で包んでくれましたね。 |
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2002 Jordan HONDA EJ12 T.SATO
TSコレクション No.3 First F1 Point
2002年佐藤琢磨の琢磨コレクションモデルです。琢磨ファンを感激させてくれた日本GPの5位入賞モデルです。このモデルも…BAR006同様に沢山のバリエーションがありそうで…少し不安です(苦笑) |
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2002 Jordan HONDA EJ12 T.SATO
日本GPモデル (鈴鹿レジェンドパッケージ)
日本のF1ミニカー販売史上で最も販売方法に問題のあったモデルですね。この販売がミニカー界には大きな問題となり京商が乗り出して後にJapanPowerモデルが生まれたのかもしれません。鈴鹿サーキットは翌年大人気になるモデルでの鈴鹿レジェンドを発売できなくなりました。本当は佐藤琢磨がTOP3チームの6台に次ぐ予選7位をゲットして5位完走で初ポイントをゲットし!鈴鹿を感動で包んだ伝説モデルですが、ミニカーは違う伝説のモデルになったようです(苦笑) |
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2002 Jordan HONDA EJ12 T.SATO 日本GPモデル
鈴鹿レジェンド代替え鈴鹿パッケージモデル(長っ!)
このモデルはいわくつきになった鈴鹿レジェンドパッケージが買えない人が続出したことから当日手続きをした人だけ購入できたモデルです。私は当日鈴鹿に行けませんでしたが おけいさん のおかげでこれをゲットできました _(- -)_ 3月発売から8月にずれ込みましたが。もしかして…鈴鹿限定モデル最後になったりする?苦笑 他の鈴鹿パッケージのよりムラサキ色が強いですねぇ。 |
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2003 B・A・R HONDA 005 TESTCAR T.SATO
(鈴鹿パッケージ)
2003年、佐藤琢磨はBARホンダチームにサードドライバーとして加入します。そして2004年のレギュラードライバーの座を目指してテストに明け暮れる日々を送ります。そして最終戦日本GP直前には2004年のレギュラードライバー昇格が正式発表されます。さらにその直後にはジャックビルヌーブが不参戦を決定した為になんと2003年の最終戦から佐藤琢磨のF1レースが決定しました!しかも1年ぶりのレースでいきなり6位入賞!チャンピオンにも一歩も引かないレースっぷりで彼の度胸をも見せつけてくれました!これは鈴鹿サーキットで販売された鈴鹿サーキット限定パッケージと呼ばれるものです。台紙の色も違い鈴鹿サーキットのロゴとレイアウトも印刷されています。カーナンバーが入っていたら日本GP仕様の気分が味わえるところですね^^;;日本GP仕様は後日販売されるようです。 |
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2003 B・A・R HONDA 005 TESTCAR T.SATO
2003年ノーマルモデルですね。つまりテストカーという位置づけになります…。しかし、このモデルは日本限定のようです。ただ、2003F1日本GPの時に鈴鹿で販売された鈴鹿パッケージも日本限定であったのに、ノーマルパッケージの全く同一のミニカーを何故後発で販売するのかが理解できないところです。 |
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2003 B・A・R HONDA 005 T.SATO
(鈴鹿パッケージ)
2003年、佐藤琢磨が日本GPに参戦したことによりカーナンバー付のモデルも発売されました。たしかこれは鈴鹿のファン感謝デーか鈴鹿でのホンダのファン感謝デーで発売されたモデルです。カーナンバーがあるとぐっと素晴らしく見えますね♪ |
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2003 B・A・R HONDA 005 T.SATO
これは↑の鈴鹿パッケージに対してノーマルパッケージです。やはり通常版が後発で発売されました…。いきなりレース参戦の日本GPでしたが、いきなり6位完走でポイントゲットは非常に価値があったと思います。琢磨は2年連続鈴鹿でポイントゲットをしたことになりますね♪ |
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B・A・R HONDA SHOWCAR 2004 T.SATO
(プロドライブ別注)
B・A・Rチームのサイトで発売されたモデルです。台紙にはマシンと佐藤琢磨が印刷されています。限定数は3000台で薄いプレートがマシンの奥に貼られています。これは当時のボスD・リチャーズ(プロドライブ社のボスでもある)がいた為に実現したモデルで、本来は2004年モデルの006でも予定されていましたが、リチャーズのチーム離脱と同時に話が消えちゃいました(T_T) レースモデルでも欲しかったですね。 |
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B・A・R HONDA SHOWCAR 2004 T.SATO
↑のモデルのノーマルモデルです。実際にはこの車は存在しないですね。チームは翌年に向けたテストモデルを次のカラスという形で製作していますから。こういうモデルが発売されるのは佐藤琢磨の人気ゆえですね。 |
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B・A・R HONDA 2004 CONCEPT CAR
佐藤琢磨
TSコレクション第2弾です。2003年から2004年の大きなマシン規定変更に合わせ2003年マシンを2004年ルール適合型へ改造したコンセプトカーです。真っ黒なカラーリングで日本では『カラス』と呼ばれました。テストで非常に速いタイムをだしていましたね。このマシンでのテストを元に2004年マシンが活躍したのですから、琢磨ファンには忘れられない1台と言えますね。 |
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2004 B・A・R HONDA 006 T.SATO
(頑張れ日本パッケージ)
鈴鹿で日本GP時に発売されたモデルです。鈴鹿パッケージとが同時に発売されました。僕はこのモデルを入手する為に友達と朝から3時間(だったかな?)も寒空&雨の中並んで…
…即日下痢になりました(>_<)
この年は佐藤琢磨の活躍によりもの凄く人気がありかなち短時間で完売していました。なんといっても日本人として15年ぶりに表彰台に立ったのだから当然ですね。 |
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2004 B・A・R HONDA 006 T.SATO
(鈴鹿パッケージ)
頑張れ日本と同じく日本GPの鈴鹿で発売された鈴鹿パッケージです。オフのテストで登場した時は余りの速さに規定より軽いとか空タンクでしか走っていないと言われましたがシーズンインしても速く琢磨が数々の素晴らしい走りを見せてくれました。特にフェラーリのバリチェロをオーバーテイクしようと果敢にブレーキングバトルをしたシーンはそれまでの『パレード感覚』に慣れていたドライバーやレース界に大きな衝撃を与えましたね♪ |
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2004 B・A・R HONDA 006 T.SATO
006のノーマルパッケージです。このモデルも前年に続き疑問が起こる販売順序でしたね。日本GP時に鈴鹿サーキットで販売された限定2モデルより後になってからノーマルモデル発売ではノーマルモデルの価値があまり無いような…。 |
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2004 B・A・R HONDA 006 T.SATO
(イギリスGP仕様?)
TSコレクションNo.5です。ちょっと正直琢磨ミニカーはパッケージが違う同モデルが多すぎてお腹一杯な感じですね。どうせだすならば表彰台に乗ったUSGP仕様(ガッツポーズのフィギュア付き)なんて発売したら、2万個くらい作っても完売したと思うのですが。 |
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2004 B・A・R HONDA 006 T.SATO
(ミシュランパッケージ)
佐藤琢磨モデル初のミシュランパッケージです。実はこのパッケージには3種類あってこれは第2バージョンです。第1弾(限定数816台で他チームのミシュランモデルと同時期発売)は限定数表記有りでビバンダム君が座っています。この第2弾は限定数表記無し(300台程)でビバンダム君が立っています。第3弾(ホンダフェアの日にもてぎサーキットで販売)は限定数表記無しでビバンダム君が座っているモデルです。 |
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2004 B・A・R HONDA 006 T.SATO
(JAPANESE GP 2004) 15,408pcs Limited
これは…いつ発売されたか忘れました(汗)大活躍の2004年シーズンでの日本GP仕様です。それでもさすがにタバコロゴはありませんがバーコード仕様がほとんどだった2004年では貴重な赤丸タイプですね。それと日本GPからスポンサーになった EPSON のロゴがモノコックのサイドに入っています。EPSONとはセイコーEPSONで、現在琢磨はセイコーのCMモデルもしていたと思います。
タバコロゴが無いので寂しいなと思い、タバコロゴデカールを貼ってみましたので、そちらの写真も載せました。
もっと大きな画像は↓でご覧になれます。
佐藤琢磨タバコロゴミニカーページへ |
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2005 B・A・R HONDA 007 T.SATO
(JapanPowerパッケージ)
鈴鹿で日本GP時に先行発売されてその後一般に発売されたモデルだったと思います。鈴鹿レジェンドの琢磨モデルであまりに反響(非難)を呼ぶ発売形式から京商が鈴鹿から発売権利を取り上げた?との噂もでるくらいの出来事でなんと今回は京商のロゴ入りです。特に混乱無く発売されて成功したと言えると思います。このモデルは後に発売されるミシュランボックスのモデルと違ってタバコロゴの位置にはレーシングレボリューションのロゴがあり格好良い仕様だと思います。今後もミニカーをあれこれだすならせめてこうやってデカールの仕様を思いっきり変えて欲しいものですね♪ |
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2005 B・A・R HONDA 007 T.SATO(ミシュランパッケージ)
JapanPowerパッケージと違いバーコードロゴ仕様です。…この年は琢磨のガンバリが空回りしたシーズンだったことが一番悲しいことで、更には追い打ちのようにバトンの我が侭にも振り回されて、最終的にはBARのレギュラーの座から落とされてしまったシーズンになりました(TT_TT) 移籍先はブリジストンタイヤを使用するので琢磨モデルとしては最後のミシュランパッケージということになりました。 |
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2006 SUPER AGURI HONDA SA06 T.SATO
元F1ドライバー鈴木亜久里が救いの神となって、チームを立ち上げてくれたことで、シートが確保できた佐藤琢磨。シャシーをあちこちから探して、オーストラリアの空港に展示されていたものまで買い取って使用して、それをレギュレーションに合わせて改造することで、開幕に間に合わせたマシン。戦闘力はもちろんありませんでしたが、参戦できたこと自体が奇跡と言えるマシンでした。 |
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2007 SUPER AGURI HONDA SA07 T.SATO
スーパーアグリ2年目のマシンです。1年目と大きく違うところは、マシンがズバリ本家ホンダの前年型マシンそのものであることです。ですので、マシンよりその方が話題になりましたね。ミニカーも基本的にはほぼ同じですよね。本来なら1年落ちのマシンでまともに戦えるハズもないのですが、本家ホンダの07年型マシンが稀代の駄作でした。その為に本家をコース上でぶち抜くこともしばしば(笑)。そしてこの年のハイライトシーンは2005年、2006年のワールドチャンピオンのアロンソをカナダGPで直接オーバーテイクしたことだと思います。このシーンは本当に熱かったですね。
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