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1987 LOTUS HONDA 99T S.ナカジマ
鈴鹿ホンダレジェンド Limited 1,728pcs
日本のF1界の火付け役と言っていい存在でしょう。中嶋悟さんのF1デビューシーズンモデルです。このシーズンからフジTVのF1中継も始まりましたしね。僕は翌年あたりから時々見るように。1987年は小学生だった僕は、小学生向けの科学雑誌(コペル21)に載っている写真などで見て、興味をもち始めていた頃だなぁ。チームメイトは若かりし頃のアイルトン・セナ。このモデルはアクティブサスを搭載した最初のF1マシンでしたが、狙い通りには機能せずに、ドライバーは苦労したようです。昔発売されたまま、その後は全く再販もされずに幻のプレミアモデルとなっていました。しかし2009年日本GPで鈴鹿ホンダレジェンドシリーズとして、遂に再販売!この年は多くの種類が鈴鹿ホンダレジェンドとして発売されましたが、圧倒的人気で売れていたのはこの中嶋悟さんモデルだったようです。(翌日の土曜日に完売) 私も買いに行った時は…とんでもない行列で…3時間待ちと言われました。せっかく高額のプロ機のカメラを持ってフリー走行から撮影しようと思っていたので、ミニカー行列に並ぶのを断念(涙)しかし友人のおかげで購入できたのでした♪僕は中嶋悟さんの大ファンです。2005年に、とある写真コンテストの授賞式で握手&2ショット写真を撮って頂いた時は涙がでそうに嬉しかったです。(グランプリ受賞♪) |
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1990 ESPO Larrousse Lamborghini Lola LC90
鈴木亜久里 1990 鈴鹿 3位
鈴鹿レジェンド Limited 1,296pcs
中嶋悟さんが牽引した日本のF1界で、セナプロ時代最高潮に目立った日本人ドライバーと言えばこの人ですよね。2009年日本GPには間に合わずに、2010年3月の鈴鹿のファン感謝デーでようやく登場。売れ残った分が翌週webショップ販売へ。僕もそこでゲットできました。少し見えているエンジンにリアサスのコイルスプリング等、非常によくできたミニカーだと思います。久しぶりに満足度の高い一品ですね。この頃は日本のスポンサーが多かったなぁ(遠い目)セナプロのスタート直後の1コーナーのクラッシュにより「フォーメーションラップでしか(セナプロを)見てない!」っていう観客を落胆から救ってくれた、日本人の日本GPでの表彰台。いつか誰かにまた表彰台に乗ってもらいたいですね。中嶋さんモデルは当時の復刻版なので、ドライバーがネットでよく言われる“泥人形”状態なのに対して、こちらは新規なので最近の造り。おかげで、派手なドライバースーツも綺麗に再現されていて、とてもいい状態です。即お気に入りモデルになりました♪ |
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1990 LEYTON HOUSE CG901 JUDD
イヴァン・カペリ
日本がセナプロ時代で盛り上がった頃、人気があったチームの1つのレイトンハウス。バブリーな時代の象徴ですね。ジャッドエンジンはどうしようもなく非力で、圧倒的にパワー不足でした。ホンダエンジンが凄すぎましたからね。でも2010年でも時代のトップを走るデザイナー、A・ニューウェイの(初期の頃の)空力マシン!エンジンは非力でしたが、それでも空力バランスは良く、速さはまずまず。フランスGPではレイトンハウスが一時トップを走行するなどの活躍でした♪色も綺麗ですね。このマシンは当時、タミヤ模型から1/20シリーズでも発売されました。ブログで写真を交えて詳しく見てみたのでどうぞ↓
http://photo.ap.teacup.com/capricious/24.html |
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1977 TYRRELL FORD P34 P.DEPAILLER
現代F1ではあり得ない6輪車です。タイヤの空気抵抗というが実は非常に大きいF1マシン。フロントタイヤのドラッグを無くす為にタイヤを小さくし、そして耐久性やグリップの面でのディスアドバンテージを補うべくフロントタイヤを左右2輪ずつ。確か6輪車は優勝もしていますね。今見るととても面白いマシンで僕は大好きです(^o^) |
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1982 Williams FW08 K.ROSBERG
えっと…。私はこの時代のF1は見ていないので知りません(汗笑)。引退後ミカ・ハッキネンのマネージャーを務めたこともあるフィンランドのF1ドライバーケケ・ロズベルグ。1982年には年間1勝ながらワールドチャンピオンに輝きました!フロントウイングの無い昔のF1カーは今見ると独特のデザインですね〜。 |
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1991 Williams RENAULT FW14 リカルド・パトレーゼ (ONIX製)
1991年マクラーレンを苦しめたウィリアムズです。セミオートマチックトランスミッションを搭載した当時は画期的なマシンですが、序盤はその信頼性に苦しみました。中盤からの速さはマクラーレンを苦しめたと言えるだけのパフォーマンスがありました。これはミニチャンプスではなくONIX社のモデルです。デザイナーは当代最高と言われたA.ニューエイで空力の非常に優れたマシンでした。昔のONIX製の為になんとサイドミラーがありません。作りが雑です(^^;; |
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1992 Williams RENAULT FW14B ナイジェル・マンセル
1991年大活躍したFW14をベースにアクティブサスペンション(リアクティブ・ライド等と呼ばれた事もあります)とトラクションコントロールシステムを搭載したウィリアムズは昨年と同じ空力マシンとは思えない程に戦闘力をアップさせました。ライバルの追随を許さずに開幕5連勝・開幕3連続1−2という記録を達成しながら、無冠の帝王と呼ばれたレッドファイブ、ナイジェル・マンセルが遂に初王座に輝きます。その後、多くのチームがこのマシンの技術を真似る程のアドバンテージを持ったマシンです。1988年のマクラーレンMP4/4と並び最強マシンの1台だったと言えるのではないでしょうか。しかしチャンピオン獲得後にチームを放出されるという別の意味でもマンセルは注目を集めました。 |
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1993 Williams RENAULT FW15C アラン・プロスト
前年のハイテクマシンFW14Bで圧倒的アドバンテージを築いたチームは正常進化したモデル(前年FW15を投入する必要がなくなったので後ろ倒しでのFW15)でシーズンに挑みます。
ライバルマシンもようやくアクティブサス、トラクションコントロールを搭載し始めます。が、更に開発の進んだハイテクと、ライバルのホンダが去った事によりナンバー1エンジンの座についたルノーのパワーでシーズンを席巻します。そしてアラン・プロストが4度目の王座につきました。しかしこのシーズンもチャンピオンを獲得したドライバーが引退を表明するという異例のシーズンとなりました。 |
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1994 Williams RENAULT FW16
前年までのメインスポンサーCanon、とタバコスポンサーのCAMELが撤退してしまいましたが、代わりにRothmansタバコがメインスポンサーになりました。この年から給油が義務付けられたので燃料タンクが小さくなり給油口がついています。 |
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1995 Williams RENAULT FW17 David.Doulthard
セナ亡き後、デーモン・ヒルのチームメートにはテストドライバーからクルサードが昇格しました。彼は95年ポルトガルGPで初優勝を遂げ、いずれそのポルトガルGPモデルが発売されるそうです。ポルトガルGP限定のスポンサーでありミニカーライバルメーカーのオニクスロゴは貼られるのかな。 |
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1996 Williams RENAULT FW18 D.Hill
前年モデルを正常進化させたこのマシンです。安定性が増し操縦性が上がっているようです。前年度のダブルタイトルホルダーのベネトンから見事にドライバーズ、コンストラクターの両タイトルを奪還しました。 |
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1997 Williams RENAULT FW19 J.VILLENEUVE
ウィリアムズ・ルノー最後のシーズンのマシンです。前年チャンピオンのヒルがチームから放出されてしまい、アンダーステア気味なマシンから方向性をチェンジ。ハンドリングもよく、ミハエル・シューマッハと最終戦までタイトルを争い、最後は有名なシュー兄ぶっつけ事件が発生しますが、見事ジャックがチャンピオンを勝ち取りました。このマシンはミニカーのバージョン違いがかなり多いです。全部持っている方はいらっしゃるのでしょうか…。 |
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1998 Williams MECACLOME FW20 J.VILLENEUVE
昔のフェラーリのスタードライバー、ジル・ビルニューブの息子にして1997年チャンピオン、ジャック・ビルヌーブの1998年マシンです。ウィリアムズは今まで永く青いカラーリングを通していましたがスポンサーの要望により初めてマシンを赤くしました。しかし戦闘力の落ちたマシンで3位表彰台に上るのが精一杯でした。 |
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2000 Williams BMW FW22 JENSON.BUTTON
ウィリアムズでデビューという大物ルーキー、ジェンソン・バトンのデビューマシンです。この年からウィリアムズはBMWエンジンと組みますが、非常にパワフルで戦闘力の高いエンジンを積みチームは再び上昇カーブを描き始めます。マシンも格好いいですね。COMPAQがメインスポンサーになりカラーリングもが一新されました。 |
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2001 Williams BMW FW23 R.SCHUMACHER Limited Edition 5701ps
2001年、ウィリアムズは序盤他車に追突されるトラブルが相次ぎました。ブレーキにトラブルを抱えていたということなんですかね。チームメイトのモントーヤはデビュー2戦目にしてトップ独走状態に入ったにも関わらず周回遅れに追突されるという信じられないトラブルも起き、悩みました。そこでチームはリアウイングに「車間距離を保て!=追突するな!」という皮肉を込めたメッセージ「Keep your distance !」をペイントしたのです。そのGPでラルフが初優勝を遂げたので効果はあったという事でしょうか。(^^;;
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2001 Williams BMW FW23 J.P.MONTOYA Limited Edition 4896ps
前年に引き続きまたまたウィリアムズからデビューのドライバー、ファン・パブロ・モントーヤの初優勝(イタリアGP)モデルです。
2001年第2戦目のブラジルではミハエル・シューマッハを豪快にオーバーテイクしてトップ快走していたにも関わらず周回遅れに追突されるという信じられないアクシデントでリタイアしていました。モントーヤのヘルメットがシーズン途中からメッキ仕様になっていて面白いです。BMWは復帰2年目で早くも最強エンジンと呼ばれています。 |
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2002 Williams BMW FW24 J.P.MONTOYA Limited Edition 0696/1008
ウィリアムズのファン・パブロ・モントーヤの2002年モデルです。これはミシュラン別注と呼ばれる日本限定モデルで、シリアルナンバーまで入っています。ミシュランのイメージキャラクターであるビバンダム人形がついたモデルですが、昨年のウィリムズモデルのミシュラン別注と違ってモントーヤモデルのビブ君は座ったバージョン!です。
マシンの戦闘力は最高ではありませんでしたが彼は2002年最多ポールポジションを獲得し、予選での速さではトップドライバーとして注目されました。また、イタリアGPではBMWエンジンが1万9050回転で全てのギアチェンジが行われている事を確認し、発表しました。凄いエンジンですね。(^-^) |
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2003 Williams BMW FW25 J.P.MONTOYA
前年度の最強エンジンを更にパワーアップさせ、新たなシャシーはホイールベースを大幅に短くして旋回性能アップを図ったものの序盤戦大苦戦します。しかし開発が進みモナコGPの優勝をきっかけに終盤までモントーヤがチャンピオン争いを展開するまでに強いマシンになります。ミニカーとしては2003年のミニチャンプスのモデルの中で一番出来が良いかも知れませんね。カーナンバーがノーズ先の下のウイングに小さくしか表示されていないのは何故なのでしょうか…!? |
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2004 Williams BMW FW26 J.P.MONTOYA
この年のウィリアムズの一番の話題はなんと言ってもモントーヤがシーズン前に翌2005年にマクラーレンへ移籍することを発表したことでしょう!士気が下がるようにしか思えないのですが、まぁそういうことがある中、セイウチノーズのマシンが登場しました。(このマシンをツインキールと表現している雑誌がありましたが、ノーズのステーをもってツインキールと言ってるなら間違いですね。)醜い外観に関係者だけでなくファンからも非難轟々でしたが、「速ければいいんだ」とはチームの代表コメント。しかし結局目立った結果を残すことなくシーズン中にノーマルのウイングになった為日本GPのピットウォークではこのノーズを拝むことができなかったマシンです。 |
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2005 Williams BMW FW27 M.WEBBER
この年のはニック・ハイドフェルドのが欲しかったんです。でもセール待ちしてる間に売り切れてしまい、仕方なくウェバーモデル(涙)ニューマシンの発表会では、チーム代表のフランクが発表直前にBMWの圧力に負け、ニック起用を発表するほど切羽詰まったトップチームでのデビューでしたが、 この年のニックの活躍は素晴らしかったですね。母国ドイツでのヨーロッパGP(ニュルブル)で自身初のポールポジション!レースでも2位をゲットしました。前戦モナコGPでもアロンソを華麗にオーバーテイクして2位をゲット。一方ウェバーはアロンソ何度も仕留め損ね…不格好でした。苦労人の“クイックニック”が輝いたシーンの1つですね。 |
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McLaren TAG MP4/2C BRITISH GP 1986 K.ROSBERG
1986年のマクラーレンのマシンです。イギリスGP仕様と書かれていますが、実際にはMcLarenとは書かれていません。ミニカーならではの処理ですね(泣)。ケケ・ロズベルグがドライブしました。このマシンのことは全然知らないのですが、買ったわけがあります。それは隣のマシンを見ていただくとしましょう。あ、僕が小学生の時持ってた手帳の表紙が確かこのマシン(プロスト車ですが)でした(^-^) |
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McLaren TAG MP4/2C ポルトガルGP 1986 K.ROSBERG
1986年ポルトガルGPではマルボロマクラーレンの長い歴史の中でたった1戦だけ、しかもたった1台だけマルボロレッドと呼ばれる赤ではない色のマシンが実戦を走りました。チームメイトのプロスト車は通常カラーでしたが、このロズベルグ車だけがマルボロライトカラーで走ったんですよ^^。2003年現在だとフェラーリが突然こんな色にしてみても面白いかも(無理ですけど)。 |
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1988 McLaren Honda MP4/4 Alain.Prost
マクラーレンで将軍状態だったプロストのチームメイトには新しく加入したアイルトン・セナが。孤高の、熾烈を極めるシーズンを送り、プロストとセナの二人で16戦15勝という偉業を達成したマシンです。既にガソリン搭載量を制限されたりと厳しい開発条件を強制された中でのマシンでした。それでもあまりの速さだった為に翌年ターボエンジンまでが禁止されてしまいました。友人に頂いたモデルです(^o^) |
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1989 McLaren Honda MP4/5 Alain.Prost (From ワールドチャンピオンセット)
ワールドチャンピオンセットのプロストMP4/4です。ターボが禁止されても最強であり続けたホンダエンジンを武器に1989年もプロストとセナががシーズンを席巻しました。シケインでセナと接触してチャンピオンが決定した年ですね。プロストが素晴らしいポイント獲得率を誇ったシーズンです。 |
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1997 McLaren Mercedes-Benz MP4/12 David.Coulthard
マクラーレンとマルボロの永かったスポンサー関係も1996年が最後となりました。チームはスポンサーの変更を強調するだけでなく、マルボロマクラーレンからマクラーレンチームへと戻ったことを表すかのようにチームの本当のカラーであるオレンジ色に塗装された状態でニューマシンMP4/12を発表し、開発テストへ突入しました。そして開幕前になって新しいWestタバコのカラーリングを纏ったマシンを発表するのですが、それは次のミニカーを見て頂くとしましょう。 |
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1997 McLaren Mercedes-Benz MP4/12 David.Coulthard
マクラーレンはマルボロからウェストにメインスポンサーが変わりました。そしてそのデビュー戦(開幕戦)でクルサード自身の移籍後初優勝、そしてチームに3シーズンぶりの優勝をもたらしました。アンダーステアから急激にオーバーステアが発生するといったマシンバランスの悪さはありましたが、それまで全く競争力の無かったメルセデスエンジンがこのシーズン頃から非常にパワフルなユニットへと変貌した時ですね。 |
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2002 McLaren Mercedes-Benz MP4/16B J.ALESI March 5th Paul Ricard Test
2001年シーズンを最後にF1を引退したジャン・アレジは別カテゴリー(DTM)に移籍します。そこでメルセデスのチームに在籍する関係での繋がりでマクラーレンのF1マシンをドライブする機会が持たれました。このモデルはWestではなくJeanとなっています。実際の走行でもJean仕様で走ったのでこのロゴが本物ですね。シーズン中のMP4/16との違いはスポンサーロゴが2002年仕様になったこと。最も大きな違いはタイヤがブリジストンからミシュランに変わったことです。ライコネンが初めてマクラーレンのテストで乗った仕様にも限りなく近いですね。 |
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2007 vodafone McLaren Mercedes MP4-22
L.HAMILTON 1stWIN CANADA GP 2007
ここ数年で最も恵まれた環境でデビューしたハミルトンの初優勝カナダGPモデル。通常版との違いもしっかり、フロントのブリッジウイング、カナード装着、チキンウイングはデカールで形状の違いの表現、リアウイングもカナダ仕様。ハミルトンモデルは多種発売。開幕デビュー戦モデル、通常版、初優勝モデル、日本GPモデル(富士コレクション)、2007ショーカー、2006テスト仕様など。しかしこの脅威の新人は、レース内外での素行が悪すぎて人気は暴落。僕も買う予定は全く無しでした。が、2009年開幕直前にショップのセールで2009円だったので買っちゃいました。ショップによっては980円くらいまで下落したそうで…。このモデルは2010年現在でも多くのショップで大量在庫にセール中です。F1もモーター“スポーツ”なので最低限のフェアプレイは必要ですね。 |
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2008 vodafone McLaren Mercedes MP4-23
Lewis.Hamilton Limited 1584pcs
FUJI SPEEDWAY COLLECTION
ハミルトンの2008年モデル。富士スピードウェイコレクションなので、日本GP仕様です。コレも買う予定はありませんでしたが、ミニカーとしてはタイヤの日本GP限定のグリーンライン4本処理が余りにも美しくて、買っちゃいました。空力パーツがゴテゴテと装着されていた最後の年の終盤戦仕様でもありますしね。通常版との違いは…フロントウイングの翼端板とフィンの形状違い、ウイングのフラップ形状の違い、ノーズ上のホーンウイング、フロントのブリッジウイングとノーズを繋ぐかぎ爪のような支柱、チキンウイングの大きさ・形状違い、モノコック両側のカナード有り/無し、バージボードの形状違い(?)、各部のデカールの違い等です(他にもあるかも)。デビュー2年目でチャンピオンになるという偉業を達成し、久々に人気チームのマクラーレンからチャンピオンが誕生したにも関わらず、ハミルトンの人気は落ちたままでした。開幕からペナルティをもらい続けるようなダーティーな走り。ショートカットもなんのその。それらを平気で正当化するコメント。シーズン本命のライコネンに信号無視をして追突しておきながら、「信号が悪い」などと異常者じみたコメントまで。翌2010年開幕戦では虚偽申告をして重大なペナルティも…。このドライバーは世紀のヒール役ドライバーなのかも知れませんね。僕もミニカーは内容として珍しいので買ったものの、大嫌いなドライバーです。 |
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2002 TOYOTA TF102 Promotional Showcar Limited Edition 8,002ps
日本の自動車メーカートヨタがついにF1に参戦。これはトヨタモデルとして最初にでたプロモーショナルショウカーという架空のミニカーで、カーナンバー・ドライバーは無しでのモノです。僕は持っていませんがプロストAP04(03?)と同じ金型を使用したミニカーのようです…。将来トヨタF1に高木虎之介が乗ったりするでしょうか。トヨタ台紙と呼ばれるパッケージでそれが購入動機…です。 |
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Panasonic TOYOTA TF101 TESTCAR 2001 A.McNISH
トヨタF1レーシングチームが2002年からF1レースに参戦する前年度の2001年テスト専用マシンです。非常にオーソドックスな作りのマシンで、パーツの信頼性や実走データを豊富にする為に、F1グランプリで使用される17程のコースのうち10ヶ所ほどのコースで、精力的にテストを展開しました。ドライバーはかつて、マクラーレンやベネトンのテストドライバー経験もあるアラン・マクニッシュです。後に次年度トヨタ初年度のレギュラードライバーの座を獲得しました。2003年現在はルノーのリザーブドライバーをしています。 |
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2002 TOYOTA TF102 M.SALO
TOYOTA F1 DEBUT 2002 Australia GP
ドライバーは日本GPでデビュー、日本でもレース経験がありご夫人が日本人のミカ・サロと、日本では馴染みのあるアラン・マクニッシュです。アラン・マクニッシュは11年前マクラーレンのテストドライバーもした事のあるドライバーです。開幕戦のモデルですが…サイドのPANASONICロゴの下のアンダートレイの渕にwww.toyota-f1.comと入っています…がっ、写真を調べたところこのモデルと同じ仕様のものが発見できなかったので現状謎のモデルです。Avexロゴは入っていないモデルです。鈴鹿で販売されたこのモデルはプロモーショナルカー等のトヨタ台紙とは違うバージョン2のトヨタ台紙ですね。トヨタ台紙と同じデザインのスレーブがついています。 |
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2002 TOYOTA TF102 M.SALO Limited Edition 8,668pcs
TOYOTA RACING 1st point
このマシンは大波乱の開幕戦で何と6位完走を果たし、トヨタF1の歴史の1ページ目を入賞という結果で飾ったトヨタデビュー戦での初入賞を記念したモデルです。↑のモデルと違いデカールはちゃんと開幕戦仕様となっています。 |
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2002 TOYOTA TF102 M.SALO (後期バージョン)
ノーマルパッケージのTF102です。同じパッケージでもかなりの数のバージョン違いを持つこのマシンですが、これは後期バージョンと呼ばれるAvexロゴがついていて、リアウイングは前から見た時にロゴが読めるように2重ロゴになっているタイプです。ドライバーのヘルメットのマークも開幕戦仕様に比べて多くなっています。このマシンはシーズンを通してダウンフォース不足には悩まされますがエンジン出力は高かった(らしく)、良いエンジンをもっている事は今後に期待できると言えるでしょう。 |
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2002 TOYOTA TF102 M.SALO Limited Edition 0674/1008
トヨタF1のデビューシーズンモデルです。これはミシュラン別注と呼ばれる日本限定モデルで、シリアルナンバーまで入っています。ミシュランのイメージキャラクターであるビバンダム人形がついたモデルです。
ドライバーのミカ・サロは僕が大好きなミカ・ハッキネンのイギリスF3時代でのライバルでありミカ・ミカ対決はF3当時の話題でした。ミカ・サロは昨年、他チームでのレギュラードライバーの座を蹴ってまでトヨタチームのテストに参加しトヨタ1年目の礎を築く事に貢献しました。しかしトヨタチームは2002年と2003年の2年契約をしているサロ選手に契約破棄をするというファンにとっては信じられない事件がおこりました。
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2003 TOYOTA TF103 O.Panis Japan Limited Edition 2,088pcs
トヨタ別注シリーズの2003年モデル、パニス車です。このモデルはトヨタ別注でもこれまでのトヨタパッケージとは違うタイプですね。日本限定版はこのタイプのようです。マシンの戦闘力はまだまだでしたがミニカーはよくできていますね。このようにパッケージを包んでいるスレーブの裏側にはこのような写真がプリントされています。毎回思うんですが…、この限定数の数量は何か意味があるのでしょうか?意味不明な数字の時がほとんどですが…(苦笑) |
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2003 TOYOTA TF103 C.da Matta Japan Limited Edition 1,440pcs
↑のパニス車と同じトヨタ別注、日本限定モデルでチームメイトのダマッタモデルです。パッケージが違うので思わず両方買っちゃいました(笑)アメリカのCART(トヨタチーム在籍)でチャンピオンを獲得してF1へ乗り込んできました。 |
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2005 TOYOTA TF105 J.Trulli Japan Limited Edition 1,880pcs
トヨタ別注、日本限定モデルです。前年、見事にモナコGPで初優勝したトゥルーリをトヨタは招き入れました。モナコGP優勝経験者(毎年予選も速いですね)の速さは伊達ではなく、05年開幕戦ではいきなりフロントローを獲得します。そして2戦目でトヨタ初の表彰台を獲得するとそのまま3戦目も2位表彰台を獲得するという快挙!空力パーツは数多く装着されていて、エアインテークの全部の板状のパーツ等面白い車ですね。 |
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2005 TOYOTA TF105 "TOYOTA 1st PODIUM"
J.Trulli Limited Edition 7,253pcs
トヨタチーム初表彰台モデルですね。ミニカーは通常のTF105ですが、ライコネン初優勝ミニカーの時と同じフィギュアを採用しています。この年のトヨタは前半戦の活躍が特に素晴らしく、このマレーシアGPでは2戦連続のフロントローを獲得してレースでも見事に表彰台!しかも2位を獲得しちゃいました!速く優勝までいきたいところですね。スレーブの裏側にはレースでフィニッシュする瞬間のトヨタのスタッフ&トゥルーリ号の写真、台紙にはそのスタッフのアップの写真が載っていますね。 |
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2009 TOYOTA TF109
ミニカーはシーズン終盤・鈴鹿のフリー走行でのみ出走した小林可夢偉モデルと、最終戦の小林可夢偉モデル。
2000年にF1参戦を発表だったかな?そして2001年から専用テストマシンを制作して、レースサーキットでガンガンとテスト走行&データ収拾。2002年からの参戦に向けて、異例の準備期間&投資額。トヨタが本気を出すとこれほど圧倒的な規模で突入してくるという衝撃でしたね。そして浮き沈みの激しいF1界で戦い続けて2009年は、浮上の年。なんと10戦で3列目までに入る(予選の)好結果、速さがありました。バーレーンではポールと2位のフロントロー独占。他3戦で2位フロントロー獲得。シーズン前はKERSを搭載してのテストにも取り組んでいたのに、実戦では搭載しなかったりと、コンセプトに迷いがあったのでしょう。残念ながら決勝結果は今ひとつ、表彰台獲得まででしたが。2010年も参戦を続けていれば、さらに好成績を挙げたかも知れません。しかし不況のあおりで、2009年末に突然撤退。あっけない幕切れでした。
トヨタの育成プログラムからF1まで駆け上がってきた小林は、終盤の2戦でレースデビュー。いきなりランク1位のバトンをあざ笑うかのような、ブレーキングバトルの連発で大注目。最終戦ではなんと6位入賞。国際カメラの映像も独占する走りで、翌年に期待が高まったところで…トヨタF1の撤退。これがトヨタF1のラストモデルとなりました…(>_<)
トヨタF1チームは、参戦当初は不振の責任をドライバーに押しつけたり、その姿勢で嫌われもしました。しかし最後は、遂に育成プログラムからあがってきた小林可夢偉の活躍など、期待が高まっていただけに残念でした。 |
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1985 ARROWS BMW A8 G.BERGER
アロウズってBMWエンジンを過去に積んでいたとこのミニカーで知りました(^^;; まだ見ていない頃のF1マシンなのでコメントが…汗
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1999 ARROWS A20 高木虎之介
このミニカーは買ったわけではありません。FORZAで「5000円以上買ったらプレゼントキャンペーン」の時にゲットしました(爆)この年だったと思いますがスパのオールージュ区間を5番手の速さで駆け抜けたとか…(他にネタが思い出せなくて) メインスポンサーの「t-minus」のスペースは正式発表まで数字がペイントされ続けカウントダウンしていくようになってました。ただしトップチームでは無いのでそれほど注目されなかったようですが。
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2001 (MAY 24th MONACO GP) ARROWS ASIATECH A22 J.VERSTAPPEN
アロウズのマシンですが、このミニカーの購入理由は面白いフロントノーズにあります。写真のようにフロントノーズの上に更にウイングがあります。安全性上の危険物として、使用し始めたモナコのフリー走行でFIAから即禁止にされてしまいました。こういう奇抜な発想もF1ならではですよね、ジョーダンチームがモノコックのドライバー直前にエレメントを設置して禁止になったこともありますし。 |
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1991 Jordan 191 Ford (シューマッハコレクションページより)
ジョーダンF1チームのデビューシーズンマシンです。
メインスポンサーは7up(日本GPでは日本でお馴染みの同社ブランドPEPSIになっていました)。コンパクトなマシンでフロントウイングが特徴的ですね。メキシコGPではゴール数十m手前でガス欠でストップしたマシンをドライバーのアンドレア・デ・チェザリスが押してゴールするというシーンも見られました。ルール上マシンを押すのは…(苦笑)。いつかまた7up(このグリーンが大好きなので)がどこかのチームにメインスポンサーとして復活して欲しいものです。デザイン、カラーリングにより圧倒的に人気の高いマシンですね。 |
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1993 JORDAN 193-HART ジョーダンセットなのでカーナンバーとドライバーはついていません
ドライバー:ルーベンス・バリチェロ、&(イヴァン・カペリ)(ティエリー・ブーツェン)(マルコ・アピチェラ)(エマニュエル・ナスペッティ)(エディ・アーバイン)
1993年のジョーダンのマシンです。前年度にパワーだけを求めてヤマハV12エンジンを搭載した失敗した反省からか、再びコンパクトなマシンを設計します。ホイールベースも短かったようです。伝説と言っても過言では無いセナの活躍で有名な大雨の第3戦ヨーロッパGPでは、この年デビューのバリチェロが途中まで2位になって走行する(油圧トラブルでリタイア)等活躍を見せました。カラーリングも吊り下げウイングもカッコイイマシンだと思います。アーバインがスポット参戦で話題を呼んだ仕様のもあります。それは次のモデルをご覧下さい。
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1993 JORDAN 193-HART 1993年日本GP エディ・アーバイン
この年バリチェロの活躍以外にもジョーダンチームではもっと話題になったレースがありました。第15戦日本GPでスポット参戦デビューのエディー・アーバインがいきなりの5位入賞を果たしたからなんですね。しかし、その内容よりも話題になったのが彼のレース(爆) レース中にヒルとのバトルに夢中になり、周回遅れにしようとしたセナの邪魔を何度もした事にセナを激怒させてしまいます。しかもレース後に猛抗議に来たセナへの言動がセナをぷっつんさせます。そして…パンチされちゃう事件がありました(爆)。上のジョーダンセットとの最大の違いはバークレイのタバコロゴがしっかりと表現されていることです。そういう意味でも貴重かも。 |
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1994 JORDAN 194-HART ジョーダンセットなのでカーナンバーとドライバーはついていません
ドライバー:ルーベンス・バリチェロ(&鈴木亜久里&アンドレア・デ・チェザリス)、エディー・アーバイン
前年に引き続きハートエンジンを搭載したコンパクトなマシンです。吊り下げウイングは採用せずにチームのデビュー時のような形状のフロントウイングに戻しています。セナが事故に遭ったサンマリノGPではバリチェロも鼻を骨折する大クラッシュに遭います。ベルギーGPの雨の予選ではバリチェロが見事に自身&チームの初ポールを獲得しました。このモデルはジョーダンセットと呼ばれるもので写真のような厚紙のケースもついているのですが、黄色と”J”の印刷が綺麗です。 |
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1997 Jordan PEUGEOT 197 G.FISICHELLA
このシーズンからジョーダンチームはメインスポンサーのベンソン&ヘッジスのロゴスペースを動物で表現しました。この97年は蛇ですね。イカツイけども格好良くて僕は大好きです。この年の事件と言えばフィジコvsラルフの事件ですね。初表彰台目前のフィジコにラルフが追突、そしてフィジコはスピンを…。一方ラルフはそのまま表彰台へ。そりゃそんなレースされたらフィジコは当然ラルフを許せないですよね。 |
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1998 Jordan MUGEN HONDA 198 Damon.HILL (ヒルコレクションページより)
かつてのワールドチャンピオングラハム・のヒル息子にして1996年のチャンピオンデーモン・ヒルはこの年ジョーダンチームにチーム初優勝をプレゼントしました、オープニングラップの1コーナー後で13台がマルチクラッシュした大波乱のベルギーGPで。このマシンは前年の“蛇”から“蜂”に変わっています。…インパクトは前年の方がありましたね。 |
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2000 JORDAN MUGEN HONDA EJ10
(佐藤琢磨コレクションページより)
2000年も蜂ですね。翌2001年から鮫になります。実はその鮫マシンが大好きなんですが、モデル化されませんね(涙) 2006年現在、チームはもう消滅しちゃいましたし…。PMAって既にモデル化契約してましたっけ?(滝汗) |
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2001 JORDAN HONDA EJ11 J.ALEJI
2001年のジョーダンです。アレジはキャリア最後となるこの年、12戦ドイツGPまでをプロストGPで。残りのレースをジョーダンチームで過ごします。そしてラスト2戦のアメリカGPで、200戦目を迎えたアレジ。その200戦参戦を記念しての特別ロゴ入りのマシンです。動物シリーズのラストマシンですよね。私はこの鮫ペイントのノーズ、すごく好きだったりします♪
そして忌まわしい9.11事件の直後のアメリカGPでもありました。その為各チーム、ドライバーがアメリカに哀悼の意を表して星条旗をペイントしていましたが、ジョーダンのマシンにも星条旗がペイントされていますね。 |
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2002 Jordan HONDA EJ12 T.SATO
(佐藤琢磨コレクションページより)
2002年シーズンモデルです。フィジケラはコンスタントに速さを見せました。ただ彼はベテランドライバーだったので問題ありませんでしたが、コクピットよりもモノコックとノーズの接合部が高い位置にあるという非常に視界の悪いマシンだったのは事実で、F1デビューシーズンの佐藤琢磨には辛いマシンでした。最初から視界の問題を言ってましたし、シーズン後も同じ事を言ってましたね。 |
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2003 Jordan Ford EJ13 G.FISICHELLA
1st Win BRAZILIAN GP '03 Limited 5,328pcs
不運にとりつかれ、なかなか優勝できなかったフィジコが遂に初優勝を遂げたモデルです。雨とドロンコにまみれたレース後半、クラッシュしたウェバーのマシンのいた区間の黄旗を無視のような勢いでアロンソが突っ込んでいったことで大クラッシュが発生しました(アロンソを除くドライバーは全員スローダウンしていたので無事回避している)。そしてそれが直接原因となり赤旗でレースは終了。当時のレギュレーションで、チェッカーの何分前がレース終了かという微妙なタイミングの為、現地ではライコネンが優勝となり進行しましたが、1週間後にその1ラップ後に結果が変わりフィジコが優勝となり、次レース直前にトロフィー交換イベントが行われました。
これはミニチャンプスF1ミニカーで初めてウェザリング(汚し処理)が施され、タイヤもウェットタイヤ仕様ですね。 |
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1999 Minardi Ford M01 Italian Driver
1999年のミナルディのマシンですね。FORZAのプレゼントキャンペーンで頂きました。当時の終盤戦のヨーロッパGPは微妙なウェットコンディションもありトップに立ったドライバーが次々にリタイアする大波乱の連続でした。そんな、上位はとても望めないミナルディが4位を快走。ファンも快挙を期待した矢先にエンジンが音をあげてリタイア…。ドライバーのルカ・バドエル(なぜイタリアンドライバーと名前を伏せた表記か謎)がコース脇で号泣していましたね。惜しいレースでした。 |
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2001 MINARDI EUROPEAN PS01 GPUSA2001 (アロンソコレクションページより)
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2002 KL MINARDI ASIATECH PS02 M.WEBBER
5thPLACE FINISH AUSTRALIAN GP2002
ミナルディの2002年マシンです。大波乱だった2002年開幕戦のオーストラリアで非力なマシンと母国GPでデビューを迎える新人ドライバーは、なんと1戦目にして5位入賞という快挙を達成。これはそのデビュー戦入賞記念モデルです。残念なことに通常のチェッカー柄パッケージに左側のマークが付いただけなのが勿体無いですね。マーク・ウェバーはこの活躍が認められて、翌2003年から上位チームのジャガーへと移籍することになりました。 |
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2003 EUROPEAN Minardi Cosworth PS03 ニコラス・キエーサ 1,512pcs
2003年のミナルディのマシンです。このミニカーの購入動機は2つ。私が初めてF1ドライバーと2ショット写真を撮ってサインをもらった人。そしてこのキエーサという人は僕と同じスープラが愛車なんです。しかももの凄い改造をしていて800馬力!(GTカーより凄いじゃん!)色んな意味で僕にとっては記念なF1ドライバーです。またチャンスがあればF1に乗って欲しいです。 |
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2003 JAGUAR R4 M.WEBBER (MICHELIN パッケージ)
2003年モデルから遂にミニチャンプスからジャガーマシンが販売されました。マテル製品と比べたいかも…。とにかく色がいい感じな上に台紙の色もとても綺麗なブリティッシュグリーンになっています。予選では最高3位にまでなったマーク・ウェバーですが、レースパフォーマンスは良くなかったですね。燃費の悪いマシンだったようです。 |
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2002 SAUBER PETRONAS C21 GP USA 2002
H.H.FRENTZEN 3,744pcs
このモデルもFORZAのキャンペーンでプレゼントでもらったような記憶が…汗笑 前年のライコネンで味をしめたペーター・ザウバーがドル箱狙いで再び超若手のマッサを起用したシーズンのモデルです。そのマッサが出場停止かその寸前状態で、急遽起用されたフレンツェンの乗ったモデルですね。アメリカGP仕様ですが、らしいというかサイドのバージボードには「ストップエイズ」の文字が。 |
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1986 Benetton BMW B186 G.BERGER (ベルガーコレクションページより)
1986年のメキシコGP仕様です。なんとも派手なカラーリングですね。この年のベネトンマシンはグランプリ毎に開催国の国旗をモノコックに貼っていました。勿論このマシンにはベルガーが初優勝を飾ったメキシコGPのメキシコ国旗が貼られています。
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1988 Benetton Ford B188 T.BOUTSEN Limited5,555pcs
いかにもベネトンらしい派手なカラーリングのマシンですね。あまり記憶には無いけれども、このマシンって確か田宮模型からもプラモデルででてましたよね。1988年のMP4/4を買いに行った時に見た記憶があります。で、このマシン自体のことは…コメントが特に無くてすいません。 |
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1991 Benetton Ford B191 (シューコレページより)
1991年のモデルですね。なんと言っても特徴はクジラノーズでしょう。当時は画期的だった吊り下げウイングに、コンパクトでパワーバランスも良かったフォードV8エンジン。また当時は高地でのメキシコGPが開催されていたこともV8エンジンのメリットでもありましたね。バランスの良いマシンでしたが、タイヤが当時王者のグッドイヤー…ではなく、ピレリタイヤを履いていたこともあって随分苦戦していました。上位陣が次々にリタイアしたカナダGPではピケが見事優勝し、2位にもピレリタイヤのティレル・ホンダのステファノ・モデナが。ピレリタイヤの1−2フィニッシュでした。 |
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1992 Benetton Ford B192 (シューコレページより)
1992年のベネトンモデルです。タイヤはピレリからグッドイヤーへ変更。フォードエンジンも更なる進化を遂げて、コンパクトさとバランスの良さを武器にシーズンを通して活躍しました。そのノーズ形状とマシンのカラーリングから『バナナノーズ』と言われてましたね。(海外でどうかは知らんけど) |
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1993 Benetton Ford B193B (シューコレページより)
「B193B」は1993年序盤数戦の「B193」と外観は同じなのですが、ABS、パワステ、アクティブサスペンション、トラクションコントロールのハイテクが搭載されたモデルになっています。B192とも外観は酷似していますが。コンパクトでパワフルでハイテク、を武器にエースドライバーのシューマッハが見事に乗りこなし、ポルトガルGPで優勝をしています。 |
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1994 Benetton Ford B194 (シューコレページより)
V8エンジンマシンとしては最強だったと言えるマシンがこのベネトンB194ですね。全く新しいV8エンジンはV10エンジンのようにパワフルで、軽量コンパクト。さらにV8はV10に比べ低燃費。マシンバランスも最適化されていて、シーズンを通して圧勝しました。 |
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1995 Benetton Renault B195 (シューコレページより)
最強V8エンジンから最強V10エンジンのルノーに変わったのがこのB195です。前年までのバナナノーズ(昨年はバナナ色ではありませんが)がより鋭角的になり、フロント重視の作りになっています。これはエースドライバーのミハエル・シューマッハのドライビング・スタイルに合わせたものでこのシーズンもシューマッハがシーズンを圧勝してチャンピオンになりました。 |
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1996 Benetton Renault B196 (ベルガーコレクションページより)
ベネトンでの1996年実戦仕様モデルです。ドイツGPでは残り3周までトップを快走していましたが、ルノーエンジンが音を上げてしまいました。非常に惜しいレースでしたね。エンジンは当時のチャンピオンエンジンのルノーを搭載していました。この年から再びベネトンらしいカラーリングがリア周辺に復活していますね♪ |
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1997 Benetton Renault B197 (ベルガーコレクションページより)
前年と同じくチャンピオンエンジンのルノーを搭載したマシンです。シューマッハ時代のマシン作りの影響か、ベルガーとアレジの二人はあまり馴染めないマシンだった印象があります。もう1チームのルノーエンジンマシンであるウィリアムズは見事にチャンピオンを獲得しています。 |
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pre1998 BENETTON PLAYLIFE 1998
LAUNCH VERSION A.WURZ
97年病気で3戦病欠のベルガーの代役で活躍したブルツです。今はマクラーレンのテストドライバーをやっています。また現役復帰してもらいたいですね。1988年からベネトンらしいカラーリングが一切なくなってしまい、メインスポンサーのマイルドセブンのカラー一色になりました。 |
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1998 BENETTON PLAYLIFE B198 A.WURZ
1997年3戦欠場していたベルガーの代役でチームの評価を得て、1998年レギュラードライバーに昇格しました。この年のモナコGPでのM.シューマッハとのホイールトゥホイールの凄まじいバトルは圧巻でした。結果は両者痛み分けに終わりましたが、M.シューマッハに真っ向から挑む新人に興奮した人は多いことでしょう。マシンはノーズが非常に太いロケットノーズのような形状で面白いですね。 |
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2001 BENETTON RENAULT B201 J.BUTTON (バトンページより)
ベネトンF1チーム最後の年です。エンジンを供給しているルノーが買収して来季からルノー完全復帰となる直前としてVバンク角111度という超広角度低重心エンジンを積んだマシンです。
序盤はマシンのパフォーマンスが上がらずに苦戦しましたが後半戦から調子を上げてきました。昨年シュー弟を相手に素晴らしい活躍でしたが…。 |
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2001 BENETTON RENAULT B201 USGPver
1of2811ps (バトンページより)
2001年9月に同時テロが起きた米国への哀悼と応援を込めて星条旗をモノコックにペイントして走ったレースモデルです。ノーマル版とのデカール以外の違いはフロントウイングが段差バージョンから曲線バージョンに変わった事ですね。 |
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2001 RENAULT B201 TESTCAR J.BUTTON 1of3144ps (バトンページより)
ベネトンを買収したルノーが2002へのオフで走らせたルノーカラーモデルです。シャシーはそれまでベネトンが使用していたモノをそのまま使用していました。
いわゆる会社変更お披露目モデルですね(^^ |
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2002 RENAULT 2002 LAUNCH VERSION J.BUTTON (バトンページより)
ルノーがスポンサー込みで発表したモデルです。タバコ広告禁止バージョンで広告バージョンが発表されミニカーでは禁止バージョンがでました。このモデルは2001年のベネトンを合わせると基本的には4種使い回しですね(汗)これは…実戦バージョンはほとんと同じモデルになるような気がしますね。 |
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2002 RENAULT F1 TEAM R202 J.BUTTON
Limited Edition 0772/1008 (バトンページより)
2002年から完全復帰のルノーF1チーム実戦マシンです。ドライバーはルノーチーム買収前のベネトンからのジェンソン・バトンです。シーズン序盤は信頼性重視で昨年型から大幅なモデルチェンジは行っていないマシンでした。ルノーはバンク角111度という超広角度超低重心エンジンを搭載、今後のエンジンパフォーマンスに注目が集まりました。 |
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2003 Renault R23 F.Alonso (アロンソコレクションページより)
2003年のアロンソモデルです。マレーシアで初ポールポジションを2番グリッドを獲得。そしてハンガロリンクでは優勝しました。非常にバランスの良いコーナリングマシンでした。 |
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2004 Renault R24 F.Alonso (アロンソコレクションページより)
このマシンのスタートシステムは非常に秀逸なもので、2004年はオープニングラップで2台とも順位を落としたことがないのです。ただしあまりにリア側にバランスの偏ったマシンでもあり、タイヤの摩耗などあらゆるバランス的要素でみた場合にはレースよりスタートの瞬間にかけたマシンとなってしまっていました。モナコGPではヤーノ・トゥルーリが見事に優勝しました!フランスGPではポールポジションも獲得しています。 |
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2005 REDBULL RACING COSWORTH
RB1 D.クルサード (モナコGP 改造モデル)
2004年末でジャガーチームが消滅し、ジャガーF1チームを買収したレッドブルチームがF1に参戦しました。そのデビューシーズンのマシンです。開幕戦からポイントを重ねて、クルサードの働きが改めて評価され直したシーズンになりましたね。コスワースエンジンとの相性も良かったようです。チームの前身であったジャガーの頃からハリウッド映画「ターミネータ3」「オーシャンズ12」等とのタイアップによるカラーリングで話題を呼んだチームでしたが、2005年のモナコGPではなんと映画「スターウォーズ3シスの復讐」とのタイアップでマシン全体が(本来のチーム名のレッドブルと)スターウォーズのデザインのみで構成されるという大胆なもので話題独占しましたね。スターウォーズシリーズの主役的存在とも言えるダースベイダーがモノコックに格好良くデザインされています。とあるデカールをゲットしたのでそれを貼って改造しました。台紙は適当に作ったもので売り物ではありません。
2006年のモナコGPでは同チームの目玉は「スーパーマン・リターンズ」とのタイアップでしたね。しかもチーム初の表彰台。正式なミニカーとして発売して欲しいですよね。
2005レッドブル・モナコGP仕様ミニカーページ |
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2007 REDBULL RACING RENAULT RB3
D.クルサード
2007年モデルのレッドブルですね。
マクラーレンからA.ニューウェイが移籍してきたので、マシンはマクラーレンのマシンによく似ています。豪雨が降って荒れたニュルブルクリンクのレースでは、チームメイトのM.ウェバーが見事に表彰台を獲得しました。 |
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2008 REDBULL RACING RENAULT RB4
D.クルサード
クルサードの最後のマシンになっちゃいましたね。チムニーと後ろのウイングを繋ぐ衝立のようなパーツ、ブリッジウイング、チキンウイングくらいでしょうか。一番目立つのはシャークフィンと呼ばれる(後に大流行する)パーツを装着した最初のマシンです。ハミルトンが信号無視&追突で有名でカナダGPでは、サバイバルレースに生き残ったクルサードがF1キャリアで最後の表彰台にのりました。最終戦はクルサードのみの特別カラーリングで走りました。できたらそっちもモデル化してもらいたいものです。 |
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2007 HONDA RA107 J.バトン
第3期ホンダのマシンです。復帰そのものは2000年からだったかな?エンジンコンストラクター復帰から、BARを買収して2006年からはホンダチームとしての体制に。カラーリングは地球儀をそのままマシンに転写したようなものに。走行中はともかく、静止状態では綺麗でしたね。私は好きです。そしてスポンサーロゴを排除して、EARTH DREAM とメッセージのみ…。これは美しいけどF1チーム運営としてはどうなんでしょうね?ミニカーとしての出来は非常に良かったと思います。 |
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2008 HONDA RA108 R.バリチェロ
2008 TURKISH GP 257thGP
前年に引き続き、スポンサーロゴは無しでEARTH DREAM のロゴのみで、地球儀カラーリングを昨年とはアレンジしたものに。昨年に続いて遅いマシンでした。翌年のエンジンの事を考えると、シャシーだけでなくエンジン性能も大きく劣っていたようです(約70馬力とチームが表現しました)。トルコGPにて257戦目の出走となり、Rパトレーゼの256戦出走記録を更新を記念したカラーリングモデルです。
そして2008年を最後に、F1活動から突然撤退してしまったのでした(号泣)第二期末には『F1活動休止』としたホンダでしたが…。多くのファンが悲しんだと思います。かつては(ホンダ潰しのルール改正が行われる程の)無敵のエンジンとしてF1界に君臨。またいつか復帰してもらいたい。 |
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2009 BRAWN GP BGP 001 R.バリチェロ
2009 オーストラリアGP
2008年末、突如撤退したホンダF1チームを買収して、ギリギリで参戦したブラウンGPチーム。オフシーズンのテストもほとんど参加できず、ぶっつけ本番状態。たった1年限りの参戦でしたが、両タイトルを獲得する圧倒的最速マシンを作りました。外観はスポンサーがほとんどつかずに寂しい状態でした。
ホンダの後継チームとして見る人が多いのですが、実は大きな勘違い。ホンダが力を入れて開発していたKERSを採用していない上に、エンジンは当時最強のメルセデスエンジンを搭載しています。メルセデスエンジンを搭載したマシンをホンダマシンと呼んではいけません。
この年、任意で搭載可能となった新デバイスのKERSを採用せずに、徹底した低重心を優先し、ルールの穴をついたマルチディフューザーの空力重視マシンです。同じメルセデスエンジン搭載マシンでも、マクラーレンはKERSを採用して、不格好な程に重心が高いマシンで大失敗しています。このことからも、急造ながら、適切なコンセプトで造られたマシンであることがわかりますね。
フェラーリ時代は戦略指揮官として、名を馳せましたが、かつてはマシンのデザイナーでもあったロス・ブラウンの大勝利マシンと言えるかも知れません。両ドライバー共に、チームカラーの白と黄色のヘルメットへ変更している点も興味深いです。
この年のドライバーズチャンピオンのジェンソン・バトンモデルは購入済み。しかし、こちらはミニチャンプス純正のソフトタイヤ仕様の処理がなされています。(緑色のタイヤマーキング)これが購入動機です。この年のタイヤのサイズは2008年までの溝付タイヤのと同じ。つまり2008年版の溝を埋めただけのスリックタイヤになっていました。その為前後タイヤの接地面積のバランスが変わってしまうという設計ミス。翌2010年からフロントタイヤの幅を少し狭くする修正がされたので、1年限りのタイヤ仕様ですね。
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2010 MERCEDES GP MGP W01 M.シューマッハ
2009年にブラウンGPは両タイトルを獲得しながら、そのまま僅か1年で撤退。メルセデスがチームを買収してメルセデスGPへ。この時チームには、前年に続いて両タイトルをとれる、という安易な考えがあったのでしょう。マシンの基本デザインは前年のブラウンGPのマシンそのもの。しかしながら、速さの秘訣だった低重心から一転、ハイノーズを採用したり、レッドブルチームのような両サイドの盛り上がったノーズ&モノコックに変更するなど、どこかチグハグな主張のないマシンに。結果として、周囲の予想も外れて、そこそこの活躍しか出来なかったマシンです。表彰台はニコ・ロズベルグが3位を3回だけ。しかしミニカー再現度は高くてお気に入りです。 |
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MERCEDES GP F1 TEAM
N.ROSBERG ニコ・ロズベルグ
SHOWCAR 2011
2010年型のメルセデスのミニカー(ちょうど1つ上のがそれです)に2011年型のカラーリングやスポンサーロゴを施した、ミニチャンプスの金型代回収目的の(新型発売までの)繋ぎモデル。本来、私はこの架空のミニカーに全く興味がないのですが、ミニチャンプスのケースを必要として(マテル製ライコネン号用を入れ替えるミニチャンプス製のケース確保の為)特価セール時に購入してみました。ツヤ有りに関しては実戦仕様(ツヤが無い)ミニカーより出来が良いですね。 |
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SCUDERIA TORO ROSSO
S.BUEMI セバスチャン・ブエミ
SHOWCAR 2011
2010年型のトロロッソのミニカーに2011年型のカラーリングやスポンサーロゴを施した、ミニチャンプスの金型代回収目的の(新型発売までの)繋ぎモデル。本来、私はこの架空のミニカーに全く興味がないのですが、ミニチャンプスのケースを必要として(マテル製ライコネン号用を入れ替えるミニチャンプス製のケース確保の為)特価セール時に購入してみました。 |
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